ちょっと一言

 二人の孫のじいじが日常生活のあれこれを書いています。 

現政権の恐ろしさ

 現政権は、「強い国、日本」を標榜して憲法改正にまっしぐらな様子だが、平和憲法を謳う現憲法を変えたいということの主旨は、どこからどうみても「戦争ができる国」にしたい、あるいはしようという意思を表明しているとしか解釈できない。
 そのために96条を手始めにしたい、という主張は『この規定があると思うままに変えることができないから、もっと規定を緩くしょうよ』という論理に他ならない。言ってみれば、悪いことをしようという人間、たとえば空き巣を企てた人間が、戸締りが厳重すぎて空き巣に入ることが難しいから、もっと警戒を緩めて生活するよう法律で決めようよ、などと言っているようなもので、言葉は悪いが「盗人猛々しい」論理であると言う他はない。
 仮に憲法を変えたいというのであれば、憲法の規定に定められた枠の中で手続きが行われるべきで、規定そのものを緩めてしまうということは順法の精神に外れた行為である、というのは小学生にでもわかる理屈であるはずだ。
 昔ソクラテスが『悪法も法なり』と従容として毒杯をあおって自害したという例をひくまでもなく、順法の手続きを踏むことがまずもって優先されるべきだということは、法治国家の大前提であるはずだ。
そのような基本的な理解もできない、もっと言えば基本的な理解を度外視してでも変えようというのは、あまりにも乱暴で子どもじみているとしか言いようがない。

 現憲法の定めである“3分の2以上の賛同”が得られないということであれば、それは多くの人(国会議員)が『変えるべきではない』と考えているということ。逆にいえば、変えたいと主張する人の主張そのものが否定的にみられているし、変える必要がないものだととらえられているということだ。
それを無理にでも変える、ということは暴挙以外の何物でもない。
 聞く所では、与党の議員の中に『96条の規定を緩和しなければ、国民が憲法を改正したいという意思を表明する機会や場を失ってしまう』と妙な理屈でこの条項の変更の必要性を訴える議員もいるという。しかし、いつ国民(一般市民)が『憲法を変えて欲しい』などと言ったり思ったりしたのだろう。憲法改正を言い出したのは、安倍氏を党首とする現自民党だが、多くの国民は『そんなことまで期待してはいなかった』『そんなことまで頼んだ覚えは無い』と思っているのではないか。

 高い支持率を背景に(なぜそんなに支持率が高いのかも不思議だが)、きわめて薄っぺらで表層的、しかも個人的な思惑でさまざまな政策を矢継ぎ早に打ち出している安倍政権だが、深みのないそうした舵取りが国民に大きなツケを負わせることになるだろうということに国民が気づかないはずはないだろう。
 折りしも先日(6日)に安倍首相が議長を務める経済諮問会議の「骨太の方針」の素案が発表されたが、その素案の中にも首相の浅薄だが、それだけに恐ろしい考えが示されていて「やはり」と思わされた。
 曰く「強い日本、強い経済を実現することを通じて、全ての日本人が日本に生まれた喜びと誇りを持てる国を創る。これが日本経済再生の先に目指すべき姿である。」
 この人は「強い、強さ」をどういうレベルでとらえているのだろうか。これまでの言動から察するに、他と競争して負けない力、他を圧する力といった意味の「パワーを持つこと」という浅薄な意味で「強い」と言っているのだろう。
しかし考えてみるが良い。東日本大震災に際して世界が驚嘆し感動したと言われる日本人の姿は、強い姿ではあったが単なるパワーではなく、日本人がコアに持つ「強靭な精神」「忍耐と寛容」「秩序」「誇り高さ」「敬意と品格」と海外から賞賛の声が寄せられたところの質的な強さであったはずだ。当時の中国版「微博」に、ビルの中で足止めされた通勤客が階段で通行の妨げにならないよう両脇に座り、中央に通路を確保している写真が震災当日夜に投稿され、「(こうしたマナーの良さは)教育の結果。(日中の順位が逆転した)国内総生産(GDP)の規模だけで得られるものではない」との説明が付けられていた、という報道がなされたことは日本国中の人々が目にし良く知られていることだ。
 単にパワーとしての競争力、経済力を持っていても、それが日本人としての誇りを持つことにはつながらないし、世界から尊敬の目で見てもらえるようになるわけでもない。
 どこからどう見ても、現政権は民主国家、成熟した文化国家、誇れる国家とは対極の方向に向かって進もうとしているようにしか見えない。
 強さで他国と対抗するために自衛隊を国防軍にするということも、戦時下のアジア諸国への進出も「侵略ではなかった」と主張することも、景気が上向けば豊かになると底の浅い政策を掲げることも、国民を「教育されるべき存在」として位置付けることも、順法の義務を国民に負わせようと主張することも、どれもこれも平和主義を捨て、国民主権をないがしろにし、“国のために国民が在る”という発想でなされるものばかりではないか。

 景気が上向いてボーナスが上がるかどうか、などと目先のことにとらわれていてはいけない。たとえマスコミがそのような次元の低い話題で世論を形成しようとしても、どこに憲法を変える必要があるのか、なぜ教育基本法は変えられてしまったのか、強さをめざす意味や意図は何なのか、強さとはそもそも何かといったことについてよくよく見極め判断する必要があるだろう。
結論的に言えば、日本の戦後体制を否定する姿勢から発想される現政権の主張は、決して“国民の幸せ”のためになされているものではないということになるだろう。この政権の恐ろしさはここにある。
 日本の戦後体制(憲法、教育、国&社会のあり方)は「正しくない」「間違った」ものだから、何としても参院選で勝ち、「日本を正しい方向に導き」「強い日本を取り戻す」ために、一日も早く「自分たちのやりたいこと」=「憲法改正」「教育再生」などを実現しようと必死になっているからだ。
 
 そんな中、憲法96条条改正に反対する憲法学者らが「96条の会」を発足させて、一昨日都内でシンポジウムが催された。
しっかりした議論をもって、この右傾化の動きに抗していかなければ子や孫の代に禍根を残すことになるはずだが、こうした法学者の専門的な知見を得て、何とかこの危機的な状況を脱することができれば良いが、とかすかな灯りを見る思いがすると同時に、国民的な議論が沸き起こらない現状にもいぶかしさを覚えている。